
酒づくりの歴史を
支えたものたち
The Equipment behind the History of Sake Brewing
明治から続く酒づくりの物語は、古い写真や道具たちが静かに伝えてくれます。
初代・豊村喜三郎が津屋崎の地に蒔いた一粒の種は、地域の人々とともに育まれ、
世代を超えて受け継がれてきました。
蔵に残された品々には、先人たちの工夫と情熱が宿っています。
その一つひとつが語る歴史の足跡を、どうぞご覧ください。
酒づくりの工程と
それを支えた技術やものたち
玄 米
白 米
1私田で採れた米を
倉へ運搬する風景

明治から大正期の風景と思われます。馬に引かせた荷車に米俵を積み、人夫たちが長い列を作って運んでいました。
洗 米
2阿弥陀車(あみだしゃ)

8角形の車輪と車軸で構成され、その形状が阿弥陀像の光背に似ていることからこう呼ばれています。美しいデザインを持つこの装置は、大正期頃から仕込蔵2階の梁に取り付けられ、車輪に巻かれた綱を引くことで、その円周の大きさを活かして車軸に力を伝達し、これに巻きつけられた綱で重い物資や大樽を容易に上げることができたと考えられます。使い込まれた車軸中心部分は、すり減って丸みを帯びています。酒造では一般的に使用されていたようですが、現存するものは少なくとても貴重です。(左は釜場の2階天井に設置され、右は一部の木材が欠けていますが、室(むろ)前の天井に置かれています。)
蒸 米
32階からの洗い米の流し込みに
使用した
木樋と釜場

豊村酒造では、限られた敷地を最大限に活用するため、2階建ての酒蔵が大半を占めています。そのため、このような装置が必要であったと考えられます。木樋の下には釜場があり、直接甑へ洗い米を流し込み、米を蒸していたのです。(右写真の右下隅に、この木樋の一部が見えています。)
4釡床

この写真は、現存する釜場とは異なり、明治から大正頃に使用されていたものです。地下に掘り下げられた場所で、釜が焚かれ、精米した白米は甑の中で蒸され、湯が沸騰していました。仕込み期間中、蔵人たちは日々、甑蒸しを繰り返しながら、仕込みの量を調整していたのです。
仕込みが完了すると、豊村酒造では「甑倒し」と呼ばれる盛大な宴が開かれました。芸者衆を招き、杜氏をはじめとする従業員たちは、その苦労をねぎらわれたといいます。
5当初のレンガ造の煙突と
現存する煙突の工事風景

米を蒸す際やその他の作業で焚かれた石炭の煙を排出するために作られたものです。レンガ造の煙突(左側はカラー化加工された当時の写真)は、創業当初に建てられましたが、昭和5年の台風で倒壊しました。その後、すぐに再建され、現在に至っています。再建の際には、当時としては珍しい方法である、複数の業者が共同で受注・施工する共同企業体方式が採用されたといわれています。
米麹麹菌
6室(むろ)

麹室(こうじむろ)ともいいます。中央には長方形の床(とこ)台が置かれ、左側の壁にはヴィーサーという簡易型の機械製麹機が設置されていました。室は、大正3年に大蔵(仕込み蔵)の2階に設置されていたという記録がありますが、その後、別の蔵(麹蔵)の1階に移されました。そして、昭和40年代に再びこの大蔵の2階に戻されました。
酛
(酒母)酵母
7暖気樽

暖気樽(だきだる)は杉材で作られています。この樽は、中に熱湯を入れて酒母の入ったタンクに投入し、酵母を増やすために使用される道具です。酒母を温めて「糖化」を進行させる役割があります。また、場合によっては氷を入れて酒母の温度を下げるためにも使われました。
醪(もろみ)水
8鑑定官用の部屋

この部屋は、大蔵(仕込み蔵)の2階にあります。酒づくりの指導や技術支援を目的に、仕込みの時期になると国税局から派遣された鑑定官が倉内に常駐し、寝泊まりしていました。その際に使用された部屋です。内部には壁紙が貼られており、居室としての体裁が整えられていました。
搾り
清酒
9槽(ふね)と油圧式搾り機

醪を柿渋染めの木綿酒袋に入れ、酒と酒粕に分ける際に使用される槽(ふね)です。形が舟に似ていることから、このように呼ばれています。昔は、重しを使用した『ハネ木搾り』という方法で、醪を入れた布袋からゆっくりと酒を採取していました。堅く重い銀杏の木で作られた3つの槽は、まず2つの槽で搾り、搾りきれなかった2槽分の酒袋を3槽目に移してさらに搾る仕組みになっていました。
昭和初期頃からは、油圧ポンプで機械的に圧力をかけ、醪を搾り出す方法に変わり、平成14年まで、豊村酒蔵の酒づくりを支え続けてきました。
火入れ
貯蔵
10蛇管

搾った清酒の火入れに使用します。和釜(写真下部)で湯を沸かし、その中にステンレス製の蛇管(写真右中央部)を沈めて、蛇管内を通るお酒を加熱して火入れを行っていました。
瓶詰め
11洗瓶機

これは、かつて一升瓶を洗うために使われていた装置の一部です。現在は残っておらず、いつ頃から使用されていたのか、詳しい記録は見当たりません。
12酒の瓶詰めと火入れ殺菌

写真右側ではお酒の瓶詰めが行われており、左側では瓶詰めされたお酒に火入れ(殺菌)の作業が行われている様子がわかります。この写真は、大正時代から昭和時代初期頃のものと思われます。中央に写っているコートを着た2人は、税務署員だと考えられます。