
酒ラベルの変遷
The History of Sake Labels
豊村酒造では、明治7年の創業以来「豊盛」を中心として幾つもの銘柄の酒を生産してきました。
これらの酒瓶に張られた酒銘ラベルは、蔵元の心意気や地域の特性、時代の流れを映し出しています。
また、同時に印刷技術の変遷も垣間見ることができるでしょう。美しくデザイン性に優れたラベルも数多くあり、
ぜひ、これらを通じて、酒銘の背後にあるストーリーや文化を感じてみてください。
[ 印刷技術の変遷を見る ]
ラベル枠外に、石販印刷所もしくは石印(石版印刷の略)やオフセット印刷所の文字が見られるものがあります。木版印刷であった時代を経て、石版印刷は明治7年(1984年)以降に本格的に普及した技術ですが、一方のオフセット印刷は明治末から大正時代にかけて普及してきました。豊村酒造における一升瓶ラベルの印刷は、当初の石版印刷からまもなくオフセット印刷に移行したと思われます。また、初期のものではいわゆる“版ずれ”と呼ばれる線と塗りのずれが見られ、現在の印刷技術に至るまでの進展を垣間見ることもできます。


酒銘「雷聲」ラベル枠外に博多柴田石版印刷


酒銘「時宗」ラベル枠外に福山市小山オフセット印刷と記されています。
[ 偽造防止が施されたラベル ]
「トキムネ」や「ハレゴコロ」など、豊村酒造ブランドの酒銘が細かいカタカナでびっしりと描かれているラベルや細かい地模様が書かれたラベルがあります。白地に文字のみの単純なデザインラベルにだけ施されており、一見、デザインのように思えますが、これには模造品を防ぐという役目があるので、戦中・戦後の物資がない時代に作られたのではないかと思われます。




[ 戦時を意識させるラベル ]
「皇軍」、「進軍」、「膺懲(ようちょう)進軍」など、勇ましい酒銘ラベルがあり、これらは昭和15年に軍に納めたという記録が残っています。当時、昭和12年に勃発した支那事変(日中戦争)の最中であり、国策に従って膺懲などと敵を懲らしめるという意味の言葉を使うなど、世相を反映した戦時色の強いものとなっています。

[ 輸出用酒 ]
「JAPANESE SAKE」などの英語表記が付いた酒銘ラベルが複数見つかったことから、輸出用の酒瓶に貼られていたものと考えられます。酒の輸出は、植民地政策により古くは明治時代から昭和初期にかけて満州、台湾や朝鮮などへ海外移住した移民向けのものであったとされます。豊村酒造の酒輸出がいつ頃始まったのか、どこへ向けて輸出されたかは現時点ではわかりませんが太平洋戦争が始まってからはストップしたと考えられます。

[ 地域との繋がり ]
豊村酒造において、酒銘に地域との関連が明らかであるものがいくつかあります。例えば、酒銘「三柱(みはしら)」は、豊村酒造の近くにある宮地嶽神社に由来しています。この神社では、仲哀天皇の母である息長足比売命(神功皇后)を主祭神として、勝村大神と勝頼大神を配祀神として祀り、その三柱の神を「宮地嶽三柱大神」としています。このことにちなんで酒銘が名付けられたと考えられます。以前、宮地嶽神社では、御神酒として豊村酒造に発注し神前に供えた「撤下酒」を頒布していたとのことです。この「三柱」はその際に用いられていた酒ではないかと思われます。通常の「三柱」酒銘ラベルの他に宮地嶽神社の社紋である三階松を入れたラベルを作成して合わせて貼った時期もあったようです。
また、「酔鯛」は津屋崎漁港で鯛がよく水揚げされていたことからと命名されたものです。「時宗」は、北条時宗に由来しており、宗像沖にも襲来した蒙古軍の討伐に立ち向かった時の執権にちなんだ命名と考えられます。


三階松の社紋の絵柄となっています。
そして現在へ
創業から150年の歳月を重ねてきた豊村酒造。その歩みの中で生み出された銘酒の数々は、それぞれの時代を映し出すとともに、人々の暮らしに寄り添ってきました。酒づくりへの真摯な姿勢も、個性豊かなラベルの変遷からも垣間見ることができます。
そして現在も、代表銘柄「豊盛」は私たちの元に在り続けています。歴史と伝統が紡ぎ出した至高の一杯を、ぜひご堪能ください。
